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ママ応援コラム

先輩ママの体験談

環境を変えれば学校に行けるようになると思っていました

娘は高校1年の秋に学校に行けなくなりました。

頭が痛い、お腹が痛い、吐き気がする、無理...

布団から起き上がれない娘を見て、
なんで?どうしてあげたらいい?まずは内科に行けばいい?いつまで続くの?友達とのトラブルのストレスが原因?

心配と不安な気持ちでいっぱいでした。

当時、クラスや部活の友達と上手くいかないこと、部活の顧問の先生と合わないことが原因だと考えていたので、
環境を変えれば学校に行けるようになると思っていました。

みんなと同じように3年で卒業したい

普通高校に進学し、中学と同じバスケ部に入り、授業に部活に頑張っていました。

朝練のため早い時間に登校し、夜にヘトヘトになって帰ってくる日が続いている中、
娘が思い描いていたバスケとのズレ、顧問の先生への不満、同じクラスの友達とのトラブルを抱え、
娘の体調はどんどん悪くなっていきました。

中学の頃から、毎月、ホルモンの変化に合わせて体調を崩しがちだったのですが、
この頃さらにひどくなり学校に行けなくなりました。

欠席日数が積み重なってくると、担任の先生から何度も連絡が来ます。
「この教科は、あと〇〇日です。なんとかこの授業の日は午後からでもいいので学校に来れないですか?」

無理でした。

娘は、「留年は嫌。みんなと同じように3年で卒業したい。」という思いが強く、
通信制高校の個別相談に行くと、「大丈夫、レポートをやれば3年で卒業できますよ。」と言ってもらえたので、
家から近く自転車で通学できる通信制高校のサポート校に転学しました。

そんな簡単にはいかないよね

午後から行こうかな、明日行く、来週から行く。

最初は、あれ?おかしいな。ゆるい感じの登校なのになんでかな?
環境を変えてストレスの原因がなくなれば行けるようになると思ってたのに。

娘の希望で、通信制高校は週5日通学コースでスタートしましたが、
結局、スクーリング以外の授業に一度も行けませんでした。

私の中で、どうして?なんで?から、
劣等感、自己否定、憧れ、嫉妬、色んな思いを抱えて本人も苦しんでいる。
行かない、行けないもんはしょうがない。
なるようにしかならん

に変わっていきました。

コミュニケーションが取れない

娘はよくどうしたらいいと思う?と聞いてきました。
私は聞かれる度に必死に答えを探して返事をしていました。

体調も悪く、メンタルも落ちている娘は、
死にたい。なんで産んだんや。死なせろ。死にたいいうてるのにほっといて。
お母さんは分かってくれない。もう話したくない。
と大きな声を出して怒りだす事が多かったです。

当時、娘とコミュニケーションが取れなくて、どうしたらいいかわからず途方に暮れていました。
答えではなく、娘の気持ちに寄り添ってあげたらよかったのかなーと今は思います。

コミュニケーションが取れないこと以外にも心配なことはたくさんありました。

夜バイトをし、遊びに行って朝帰りを繰り返す。
お酒を飲む。タバコを吸う。
髪は赤、青、紫、金と色んな色になり、ピアスも耳、おへそ、口と数が増えていきました。
体調が悪いと寝ていても、夜になるとゴゾゴゾ用意をして、遊びに出かけます。
警察官と帰ってきた事もありました。

私は気になって熟睡できず、寝ている時も家の中の物音、玄関の音を聞き逃すまいと緊張していました。

不登校を経験して

娘は、通信制高校卒業後、専門学校に進学しましたが、欠席日数が規定を超えてしまい半年で中退しました。
現在も、精神的に不安定になることもあり、体調にも波があります。

最近、娘と話す機会がありました。
不登校になって傷ついたし、つらい経験をしてみんなが過ごす学校での生活を送れなかったけど、
普通に高校に行っていたら出会えない年上の知り合いに出会えたし、
その人たちから学んだことがたくさんあって、自分も成長できた。
他の人にはできない色々な経験ができたと思ってる。
夜に出かけてお母さんには心配をかけたけれど、感謝してます。

私もつらい思いをしたけれど、コミュニケーションや傾聴を勉強し、
同じ思いを抱えているファミラボの仲間に支えてもらいながら娘や自分と向き合う事ができました。

子どもを一個人として尊重し、接することの大切さも学びました。
そして、不登校を経験する前より、自分のことが好きになりました。

死にたいと口にする娘、死ぬことを実行しかけた息子、
その経験を通して、子どもたちの命を守ること。これが私の軸になりました。

母として、子どものことはこれから先もずっと心配だと思います。
見守り、つらい時は受け止めてあげられる存在でいたいと思います。
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