不登校について
子どもの気持ちを置き去りにしない
学校が苦手なお母さんのお話を聞かせていただく時、
自分を責めているお母さんには、
「いやいや、お母さんのせいではありません」と言い、
何かのせいにしているお母さんには、
「そうでしょうかねぇ・・・」と言い、
自分で自分の事、
コウモリのような仕事だよなぁ…と思いつつ、
お母様の不登校の受容段階を観察しています。
嘘ではないんですけどね。
自分を責めているお母さんには、
「いやいや、お母さんのせいではありません」と言い、
何かのせいにしているお母さんには、
「そうでしょうかねぇ・・・」と言い、
自分で自分の事、
コウモリのような仕事だよなぁ…と思いつつ、
お母様の不登校の受容段階を観察しています。
嘘ではないんですけどね。
子どもの気持ちとママの気持ち、一緒にしないでね
不登校は、よほどのネグレクトやDVでない限り、
お母さんの子育てのせいではありませんし、
何かのせいにする、というのもまた違って、
色々なことが、ふくざつ~に絡み合って起きているものです。
ただ、受け入れるのに時間がかかるのも事実なので、
色々な段階を、それぞれ受容に向かって歩んでらっしゃるんだろうなぁ…
と思いながら、伴走させていただいています。
ただね、ただなんです。
いくら受容段階の一つだからと言って、
子どもの気持ちを無視することは、いかがなものなんだろうなぁ…と思います。
例えば、不登校の子を、
「不登校をチョイスした強い子である」
とか、
「今の日本教育にNoをつきつけている子たちだ」
とか、
彼らを美化するような言い回しをすることがあるのですが、
それは大抵の場合、子ども自身の本位から相当逸れています。
ぶっちゃけた話、やっぱり不登校の子って学校が苦手なんですよ。
ときどーき、
mixiのコミュニティにも、学校否定の保護者の方が入ってこられます。
そして、対局で、
学校肯定の保護者の方も多くいらっしゃいます。
そんな方々が論争をされることを、私はコミュニティ内ではお控えいただいています。
なぜならば、
子どもの気持ちが置き去りになっているからです。
お母さんの子育てのせいではありませんし、
何かのせいにする、というのもまた違って、
色々なことが、ふくざつ~に絡み合って起きているものです。
ただ、受け入れるのに時間がかかるのも事実なので、
色々な段階を、それぞれ受容に向かって歩んでらっしゃるんだろうなぁ…
と思いながら、伴走させていただいています。
ただね、ただなんです。
いくら受容段階の一つだからと言って、
子どもの気持ちを無視することは、いかがなものなんだろうなぁ…と思います。
例えば、不登校の子を、
「不登校をチョイスした強い子である」
とか、
「今の日本教育にNoをつきつけている子たちだ」
とか、
彼らを美化するような言い回しをすることがあるのですが、
それは大抵の場合、子ども自身の本位から相当逸れています。
ぶっちゃけた話、やっぱり不登校の子って学校が苦手なんですよ。
ときどーき、
mixiのコミュニティにも、学校否定の保護者の方が入ってこられます。
そして、対局で、
学校肯定の保護者の方も多くいらっしゃいます。
そんな方々が論争をされることを、私はコミュニティ内ではお控えいただいています。
なぜならば、
子どもの気持ちが置き去りになっているからです。
当事者は、やっぱり辛くて苦しい
少し古い本になるのですが、
不登校の当事者による共著でこういう本があります。

「不登校、選んだわけじゃ、ないんだぜ!」
貴戸 理恵 (著), 常野 雄次郎 (著)
理論社 (2005/1/20)
まさしく、この本は、
「現実をどう受け入れるか」
ということがテーマになっています。
普通の学校が苦手で、通信制をあえてチョイスした我が家のアウトローでさえ、
当時、普通に学校に行っている子を見ると、
「なんであんな風に毎日学校に行けるんやろう…」
と、少し羨ましそうにしていました。
うちの娘なんぞは、
「不登校の子は不登校をチョイスした子やねんて…」と話を振ってみましたら、
きっと怒った表情になり、
「誰がそんな事言ってるん?」
と聞いてまいりましたので、
「民間の支援者らしい…。」
と返事しましたら、
鼻でふっと笑い、
「不登校をなめんなよ。」
と、つぶやいておりました。
たぶん、なめんなよ…の意味は、
どれだけしんどかったか
どれだけ辛かったか
どれだけ苦しかったか
死ぬか生きるかの瀬戸際なんやで
そんな綺麗事で、親だけ楽になるのはやめてくれ
大人だけ楽になるのはやめてくれ
そういう意味だと思うんです。
表面上、不登校を選択したなどと息まいている子は居るかもしれませんが、
やっぱり彼らも辛くて苦しいのです。
お母さんが不登校を受容する過程で、
自分のせいにしたり、
人のせいにしたり、
自分の子どもを気持ちの中で持ち上げてみたり、
色々な段階を通ることは、私も経験者なのでわかります。
ですが、
子どもの気持ちを無視するようなことだけは、しないであげてくださいね。
子どもの気持ちを無視して子どもを語るようなことだけは、しないでくださいね。
不登校の当事者による共著でこういう本があります。

「不登校、選んだわけじゃ、ないんだぜ!」
貴戸 理恵 (著), 常野 雄次郎 (著)
理論社 (2005/1/20)
まさしく、この本は、
「現実をどう受け入れるか」
ということがテーマになっています。
普通の学校が苦手で、通信制をあえてチョイスした我が家のアウトローでさえ、
当時、普通に学校に行っている子を見ると、
「なんであんな風に毎日学校に行けるんやろう…」
と、少し羨ましそうにしていました。
うちの娘なんぞは、
「不登校の子は不登校をチョイスした子やねんて…」と話を振ってみましたら、
きっと怒った表情になり、
「誰がそんな事言ってるん?」
と聞いてまいりましたので、
「民間の支援者らしい…。」
と返事しましたら、
鼻でふっと笑い、
「不登校をなめんなよ。」
と、つぶやいておりました。
たぶん、なめんなよ…の意味は、
どれだけしんどかったか
どれだけ辛かったか
どれだけ苦しかったか
死ぬか生きるかの瀬戸際なんやで
そんな綺麗事で、親だけ楽になるのはやめてくれ
大人だけ楽になるのはやめてくれ
そういう意味だと思うんです。
表面上、不登校を選択したなどと息まいている子は居るかもしれませんが、
やっぱり彼らも辛くて苦しいのです。
お母さんが不登校を受容する過程で、
自分のせいにしたり、
人のせいにしたり、
自分の子どもを気持ちの中で持ち上げてみたり、
色々な段階を通ることは、私も経験者なのでわかります。
ですが、
子どもの気持ちを無視するようなことだけは、しないであげてくださいね。
子どもの気持ちを無視して子どもを語るようなことだけは、しないでくださいね。
自分の気持ちを受け入れよう
大切なことは、
「現実をどう受け入れるか」
これに尽きるのだと思います。
しんどい時辛い時は、それを楽にさせるものを探すのではなく、
しんどく思っている自分を認め、
子どもに隠れて思いっきり溜息をつき、
誰か頼れる人に思いっきり泣きつく。
しんどいわぁ… ⇒ うん、しんどいよなぁ
辛い ⇒ そっか辛いか
苦しい ⇒ うん。よく頑張ってるよ。
こうやって、みんなでやり過ごしていきましょう。
そして、ニュートラルに子ども観察して、
そして、子どもに伴走していける、
「大人ママ」を目指してくださいね。
「目指す」=「未来を見る」
そして、未来の目標を明確にしながら、今の自分とじっくりと付き合う。
これがお母さんが楽になる、
一番の方法だと私は思っています。
応援していますね。
「現実をどう受け入れるか」
これに尽きるのだと思います。
しんどい時辛い時は、それを楽にさせるものを探すのではなく、
しんどく思っている自分を認め、
子どもに隠れて思いっきり溜息をつき、
誰か頼れる人に思いっきり泣きつく。
しんどいわぁ… ⇒ うん、しんどいよなぁ
辛い ⇒ そっか辛いか
苦しい ⇒ うん。よく頑張ってるよ。
こうやって、みんなでやり過ごしていきましょう。
そして、ニュートラルに子ども観察して、
そして、子どもに伴走していける、
「大人ママ」を目指してくださいね。
「目指す」=「未来を見る」
そして、未来の目標を明確にしながら、今の自分とじっくりと付き合う。
これがお母さんが楽になる、
一番の方法だと私は思っています。
応援していますね。
このコラムは、当法人相談役である谷田ひろみの私設ブログより、特にすぐ実践できるようなものを抜粋し、加筆・修正して掲載しています。
