column

ママ応援コラム

不登校について

子どもの気持ちを置き去りにしない

学校が苦手なお母さんのお話を聞かせていただく時、

自分を責めているお母さんには、
「いやいや、お母さんのせいではありません」と言い、

何かのせいにしているお母さんには、
「そうでしょうかねぇ・・・」と言い、

自分で自分の事、
コウモリのような仕事だよなぁ…と思いつつ、
お母様の不登校の受容段階を観察しています。

嘘ではないんですけどね。

子どもの気持ちとママの気持ち、一緒にしないでね

不登校は、よほどのネグレクトやDVでない限り、
お母さんの子育てのせいではありませんし、
何かのせいにする、というのもまた違って、
色々なことが、ふくざつ~に絡み合って起きているものです。

ただ、受け入れるのに時間がかかるのも事実なので、
色々な段階を、それぞれ受容に向かって歩んでらっしゃるんだろうなぁ…
と思いながら、伴走させていただいています。


ただね、ただなんです。

いくら受容段階の一つだからと言って、
子どもの気持ちを無視することは、いかがなものなんだろうなぁ…と思います。

例えば、不登校の子を、
「不登校をチョイスした強い子である」
とか、
「今の日本教育にNoをつきつけている子たちだ」
とか、
彼らを美化するような言い回しをすることがあるのですが、
それは大抵の場合、子ども自身の本位から相当逸れています。

ぶっちゃけた話、やっぱり不登校の子って学校が苦手なんですよ。


ときどーき、
mixiのコミュニティにも、学校否定の保護者の方が入ってこられます。

そして、対局で、
学校肯定の保護者の方も多くいらっしゃいます。

そんな方々が論争をされることを、私はコミュニティ内ではお控えいただいています。

なぜならば、
子どもの気持ちが置き去りになっているからです。

当事者は、やっぱり辛くて苦しい

少し古い本になるのですが、
不登校の当事者による共著でこういう本があります。



「不登校、選んだわけじゃ、ないんだぜ!」
貴戸 理恵 (著), 常野 雄次郎 (著)
理論社 (2005/1/20)


まさしく、この本は、
「現実をどう受け入れるか」
ということがテーマになっています。


普通の学校が苦手で、通信制をあえてチョイスした我が家のアウトローでさえ、
当時、普通に学校に行っている子を見ると、

「なんであんな風に毎日学校に行けるんやろう…」

と、少し羨ましそうにしていました。


うちの娘なんぞは、
「不登校の子は不登校をチョイスした子やねんて…」と話を振ってみましたら、

きっと怒った表情になり、

「誰がそんな事言ってるん?」

と聞いてまいりましたので、
「民間の支援者らしい…。」
と返事しましたら、

鼻でふっと笑い、

「不登校をなめんなよ。」

と、つぶやいておりました。


たぶん、なめんなよ…の意味は、

どれだけしんどかったか
どれだけ辛かったか
どれだけ苦しかったか
死ぬか生きるかの瀬戸際なんやで
そんな綺麗事で、親だけ楽になるのはやめてくれ
大人だけ楽になるのはやめてくれ

そういう意味だと思うんです。


表面上、不登校を選択したなどと息まいている子は居るかもしれませんが、
やっぱり彼らも辛くて苦しいのです。

お母さんが不登校を受容する過程で、
自分のせいにしたり、
人のせいにしたり、
自分の子どもを気持ちの中で持ち上げてみたり、
色々な段階を通ることは、私も経験者なのでわかります。


ですが、

子どもの気持ちを無視するようなことだけは、しないであげてくださいね。
子どもの気持ちを無視して子どもを語るようなことだけは、しないでくださいね。

自分の気持ちを受け入れよう

大切なことは、

「現実をどう受け入れるか」

これに尽きるのだと思います。

しんどい時辛い時は、それを楽にさせるものを探すのではなく、
しんどく思っている自分を認め、
子どもに隠れて思いっきり溜息をつき、
誰か頼れる人に思いっきり泣きつく。

しんどいわぁ… ⇒ うん、しんどいよなぁ
辛い ⇒ そっか辛いか
苦しい ⇒ うん。よく頑張ってるよ。

こうやって、みんなでやり過ごしていきましょう。

そして、ニュートラルに子ども観察して、
そして、子どもに伴走していける、
「大人ママ」を目指してくださいね。

「目指す」=「未来を見る」

そして、未来の目標を明確にしながら、今の自分とじっくりと付き合う。


これがお母さんが楽になる、
一番の方法だと私は思っています。


応援していますね。
このコラムは、当法人相談役である谷田ひろみの私設ブログより、特にすぐ実践できるようなものを抜粋し、加筆・修正して掲載しています。
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