「受け入れる」と「諦め」の違い。
こんにちは、みんです。
先日、傾聴勉強会にご参加のママさんから
「受け入れる」と「諦める」の違いは何ですか?
とご質問いただきました。
今日は、その事についてお伝えしてまいります。
「諦め」は感情の蓋と言われる感情で
自分の「〇〇してほしい」という欲求を
心の奥底に封じ込めるものです。
どうして感情の蓋と言われるかと言いますと
諦めることが多く重なってくると
欲求の身を焦がすような苦しさから離れることはできますが
同時に、他の感情もわかりにくくなるという事から
感情の蓋と言われています。
諦めるの場合、
例えば 学校に行って欲しい欲求があるのに
そのまま、奥底へ押し込めてしまいますので
もし、お子さんが
「学校、行こうかな~」
と、自分の欲求を叶えてくれるようなしぐさを少しでも
言ったり、見せたりすると
その欲求ちゃんは ムクムクと表面に現れてきて
呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん!
と、出てきます。
そして、どうかな~。行くかな~と ワクワク。
子どもの背中を押してしまうような言動も出てしまいます。
で、やっぱり行けなくて
がーーーーんΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン
ドーーーーン orz
というしんどさにつながっていきます。
さて、「受け入れる」の方です。
こちらの方は 学校に行って欲しい…という自分の欲求が
めっちゃ薄れている。
もしくは、どっちでもいいや~。
もしくは、あるにはあるけれど
興味がその事よりは 例えば子どもの心理状態などの方にいっている状態です。
「受け入れる」ができてくると
子どもの言動に一喜一憂しなくなってまいります。
どちらの方がいいかというと
そりゃ「受け入れる」ができると
親子ともに うんと楽になります。
でも、「受け入れる」をしなくてはいけないと
そんな風に思っても
なかなかできるものではありません。
子どもの不登校をうけ入れることは
生まれてからずっと刷り込まれてきた信念
「学校には行くものだ。さもないと…」
を書き換える作業ですので
恐怖や不安と戦いながら
上がったり、下がったりしながら
長い年数をかけてされる方が多いようです。
ただ、
「学校には行くものだ。そんなの当たり前でしょう。」
では、一生書き換わらないことも確かです。
もし、今みなさんが 何か受け入れがたい事があるけれど
それはもう「諦めている。」
といった状態にあるのであれば
その欲求を心の底からいったん取り出してきて
きちんとある事を認め
その欲求ちゃんと 日々向かい合う事で
少しずつ,少しずつですが
薄れてきたリ、
出てきたとしても、でもなぁ…という
違う視点で それと付き合えるようになるかもしれませんね。
楽になりたければ
お試しあれです。
必要な人に届きますように。
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